サウム 断食

ラマダーン月とクルアーン

ラマダーン月はイスラームにおいて非常に重要な月です。ラマダーン月にムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)がマッカ近くのヒラーの洞窟にこもっていた時、クルアーンの最初の啓示が下されました。

読め、「創造なされる御方、あなたの主の御名において。一凝血から、人間を創られた。」読め、「あなたの主は、最高の尊貴であられ、筆によって(書くことを)教えられた御方。人間に未知なることを教えられた御方である。」(クルアーン第96章)

アッラーはクルアーンの中でこう言われています。

ラマダーンの月こそは人類の導きとして、また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーンが下された月である。それでお前たちのうち、この月家にいる者は、この月中サウムしなければならない(クルアーン第2章185節)

アッラーの御言葉であり、イスラームの最も重要な啓典であるクルアーンは、ラマダーン月に下されました。この月はイスラームの聖月にあたります。ラマダーン月にはクルアーンをいつもよりもよく読み、現世の仕事や遊びより祈りや精神的な修養により時間を費やすことが求められます。

ラマダーン月は、イスラーム暦の第9番目の月にあたります。イスラーム暦は月の運行にもとづく暦ですので、私たちが通常使っている太陽の運行をもとにした暦とは違います。一年でおよそ11日短く、したがってラマダーン月も毎年約11日間早く繰り上がっていきます。年を重ねるとラマダーン月も冬、秋、夏、春と全ての季節に順番にめぐってきます。これはどういうことかと言えば、世界中のどんな地域に住んでいるムスリムも、公平に全ての季節でサウムをしなくてはならないということです。実際サウムは冬には気候も寒く、日も短いのでやりやすいのですが、夏は暑く日も長いので他の季節よりも大変です。もしサウムがある特定の季節に限られていれば、ある国のムスリムはいつも楽なサウムを行ない、他の地域のムスリムは、ずっと苦しいサウムを行なうことになります。ラマダーン月が毎年ずれてゆくことで、世界中のムスリムは全ての季節のサウムを体験することになります。

ラマダーン月とサウム

ラマダーン月のサウムはイスラームの五柱、つまりイスラームで最も重要な5つの義務の一つです。あらゆる成年のムスリムは、男性も女性も、ラマダーン月の一ヶ月間には毎日暁から日没までの間サウムをしなければなりません。これは単なるダイエットや肉体的な苦痛のためではなく、精神的な行であり、アッラーに対する崇拝と服従を表す祈りの一つの形なのです。

アッラーは私たち人間を創造され、私たちに生命や身体をはじめ毎日の生活に必要なさまざまなものを与えて下さいました。私たちが健康で生活できるのも、毎日の食事が食べられるのも、アッラーがそれを与えてくれているからです。例えば人間は努力しますが、ほんの少し雨が降らなかったり、冷夏だったりするだけで、飢饉になります。いくら科学技術が進歩しても、アッラーがほどよい天気にしてくれなければ人間にはどうにもできません。アッラーは私たちの創造主であり、人間を養っている偉大な存在です。しかし人間は日常に慣れ、その恵みをあたりまえのことと思いがちです。サウムを行なうことによって、私たちは普段忘れているアッラーの恵みを改めて認識し、より一層、感謝と服従の気持ちを新たにすることができるのです。

また、私たちはアッラーのしもべであり、アッラーは私たちの主です。ですから、アッラーが私たちに一定の期間、食欲や他の欲望を控えるように命じられたなら、私たちは従わなければなりません。アッラーはクルアーンでこう語っておられます。

信仰する者よ。お前たち以前の者に定められたように、お前たちにサウムが定められた。おそらく、お前たちは主を畏れるだろう(クルアーン第2章183節)

サウムには多くの利益があります。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は次のようにおっしゃっています。

「誰でもラマダーン月に誠実な信仰とアッラーからの報奨を期待してサウムする者は、以前の罪を全て許される」

またサウムの効用の一つとして、自分の自制心・克己心を強くする作用があります。私たちは毎日の生活の中でたくさんの欲望を満たし、自分の健康に害があることを習慣にしていることもあります。私たちが欲望に常に忠実であり続けると、私たちは自分の欲望の奴隷になってしまいます。サウムを行なうことによって、私たちは欲望に支配されるのではなく私たちが欲望を支配し、自分の生活を抑制する精神的な強さを得ることができるのです。

またサウムをすることによって、私たちは食べ物のない貧しい人々の不幸をわずかでも体験することができ、それによって貧しい人々に対する同情心や親近感がわきます。またサウムという行事を通じて、私たちは自分が世界中のムスリムと一体になったと感じ、同胞意識を確認するのです。医学的にも、サウムは血液中の脂肪分をとり、腸内の細菌や乳酸の有害な働きをおさえるなど、健康にもよいことが解り始めています。

しかし、これらはどれも二次的なことです。私たちはアッラーからサウムを命じられました。そこでアッラーの忠実なしもべとしてアッラーのお喜びを求め、精神的にアッラーへ近づくためにサウムを行なうのです。

ルーヤ・アルヒラール(新月の観測)

ルーヤ・アルヒラールとは

ラマダーン月の始まりと終わりは新月の観測によって決まります。これをルーヤ・アルヒラールと言います。現代は計算によっておおよそのラマダーン月の始まりは分かりますが、実際の始まりは肉眼で観測して決定します。イスラームの暦は月をもとにしているので、一日は日没から始まります。ムスリムの多い地域では、シャアバーン月(イスラーム暦8月)29日の日没後に子供も老人も建物の屋上や山の上に登って一心に目をこらして新月を見つけようとします。もしそれでシャアバーン月の29日に新月を見つければ、ラマダーンが始まり、その夜からタラウィーフのサラートが行われ、翌朝からサウムが行われます。新月はとても細く、また地平線の上に登っている時間は日没直後の短い時間なので、天気が悪かったり空気が澄んでいなければ月を見つけるのは難しいです。もし誰も月を見つけることができなかった場合、シャアバーンの30日を終えてからラマダーン月が始まります。ですから、隣り合う別の国で、ラマダーン月の始まりと終わりがずれることもあり、それはそれで全くかまわないのです。日本のようにイスラームの国でもなく、天候のために新月を見つけるのが難しい国では、新月が確認できなかった場合、一番近いイスラームの国であるマレーシアの日程に合わせることになっています。

サウムのやり方

ニーヤ(意志)

サウムを始めるにあたっては、まずサウムをするニーヤ(意志)が必要です。口で言う必要はなく、本人がサウムすることを分かっていれば十分です。

サフール

サウムの時間はファジュル(日の出より前の地平線に曙光がさしたとき)からマグリブ(日没)までです。このファジュルとはファジュルのサラートが始まる時刻と同じです。空の白み始める前に起きて、サウムに備えて軽く食事をとります。この食事のことをサフールと言います。これは預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)のスンナ(実践)です。これによって一日の体力を損なわない程度にサウムをすることができます。しかしこの時の食事でお腹をいっぱいにするのは好ましくありません。この時の食事には、あまり塩味のきいたものや、強い味付けのものを避け、タンパク質を多く含んだ食べ物が良いとされます。

サフールを食べる時刻は遅い方が良いのですが、ファジュルまでには飲食を終え、歯を磨くなどしてサウムに備えるべきです。

サフールを終えたら、この日一日のサウムを行なうというニーヤを持ちます。たとえば、「アッラーよ。あなたの命令に従い、今日一日のサウムを行ないます」と意図します。食事をしてからファジュルのサラートが始まるまでのしばらくの間は、クルアーンの読誦や祈りに費やします。そしてファジュルのサラートの時刻に入ったら、日の昇る前までにサラートをささげます。

サウム中やってはいけないこと、望ましくないこと

サウムを始めたら、昼の間は一切の飲食や喫煙、性行為をしてはいけません。一切のとは、例え一粒の米やウドゥーのときに口をすすいだ水の一滴ものどを通ってはいけないと言うことです。さらに口に入れたものを呑み込んだり、鼻や口から、あるいは注射器や座薬によって体内に薬や栄養剤を入れることもサウムを破ることになります。

しかしうっかりとサウム中であることを忘れていて、無意識に飲食したり、何かを口に入れたりした場合、気が付いた時点ですぐにやめ、そのままサウムを続ければ良いです。香水、こう薬、化粧クリーム、外用薬の使用、歯を磨いて口を軽くすすぐこと、無意識に唾を飲み込むこと、身体を洗うことなどは、サウムを破ることになりません。

また、サウムを直接破ることにはなりませんが、けんかや議論、他人の悪口や猥談などはサウムの精神的な効果を落とすので慎むようにします。イスラームのサウムは単に食べないと言うことではないのです。食事をしないことによる空いた時間を、こんな悪い方向に向けないように気を付けたいものです。

サウム中するべきこと、許されること

ラマダーン月はサウムという行を通じて、自分を精神的に磨く月ですから、普段よりもよい生活習慣を心がけるべきです。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は次のようにおっしゃっています。

「ラマダーン月、祝福の月が近づいてきた。その月の間には、アッラーはあなたたちの方を向かれ、かれの特別の慈悲を下される。またあなたたちの過ちを許され、祈りを受け入れられる。あなたちが良い行ないをお互いに競い合うのをご覧になり、天使たちの前であなたたちのことを自慢される。だからアッラーに対し、自分の良い所を見せなさい。真に最も哀れで不運な者は、この月にアッラーの慈悲にあずかれなかった者である」

そこでこの月には、普段よりずっと多くの時間を崇神行為に費やすべきです。まず、ラマダーン月とクルアーンには密接な関係があります。クルアーンの最初の啓示はこの月に下されました。そこでラマダーン月に一度、クルアーンの始めから終わりまで読破することが強く薦められています。

次に、義務のサラートは当然のこと、スンナのサラートやナフル(任意)のサラートもたくさん行なうべきです。ズィクル(アッラーの御名の唱念)やドゥアー(祈願)もいつもより多く行なうよう心がけます。

またサウムの目的の一つは、飢えや貧困とはどんなものかを体験して貧しい人に対する親近感を育てることにあります。ですから、施しをすることはサウムの目的に強くつながっていて、ムスリムは余裕のある範囲で、できるだけ多くの施しをすることが薦められます。たとえ金銭でなくても、サウムを解くときの食事に人を招いて一緒に食べることもその一環です。

また、多くの人がザカートの決算日をラマダーン月にしています。一年の貯蓄の2.5パーセントを貧しいムスリムに施します。サウム中でも仕事をしたり買い物をしたり、禁じられていること以外は普通の生活をしてもかまいません。ただ、ラマダーンというこの聖なる月を良い機会に、仕事などの日常に全てをかけるのではなく、人間が生きている目的やアッラーの偉大さなどに思いを巡らせ、自分の人生をひとまず立ち止まってゆっくりと考えてみることが大切です。ラマダーン月というのは、まさにそういう精神的な意味のある月なのですから。

イフタール

日が沈むと、その日のサウムは終了です。日没後すぐになつめやしの実かミルクか水などを摂ってサウムを解きます。この食事をイフタールと言います。イフタールを始めるまえに、次のように唱えるのが預言者(彼の上に祝福と平安あれ)の実践です。

「アッラーフンマ ラカスムト ワビカ アーマント ワアライカ タワッカルト ワアラーリズキカ アフタルト ビスミッラーヒ ラフマーニ ラヒーム」

(意味:アッラーよ。あなたのために私はサウムしました。あなたを私は信じ、あなたに私は頼ります。そして今私はこのサウムを、あなたから来る食べ物によって破ります。慈悲あまねく慈悲深きアッラーのみ名において)

その後、マグリブ(日没後)のサラートを行ないます。マグリブのサラートを終えてから、各人の好きなように十分な食事をとります。夜の間は普通と同じ生活ができます。けれどもその時に、昼間食べなかった分を埋め合わせようとして一度に食べ過ぎないように注意したいものです。

サウムを破ってもよい場合、免除される場合

次の人々はサウムをしなくてもよいことになっています。

-サウムをすると病状が悪化する病人

-イスラーム法で規定された「旅行者」:つまり80キロ以上の距離を移動して現地での滞在が15日未満の意志で自分の町を出た人。しかし旅行中でも特に苦痛なくサウムできるようであれば、サウムします。

-妊婦、および乳飲み子を育てている女性が、サウムによって胎児や母体に悪影響がある場合

以上の人々はサウムを遅らせることができますが、サウムのできない条件が終わり次第、後日できなかった分の日数、サウムをやらなくてはなりません。

-老人や虚弱なためにサウムにたえられない人:この人々はサウムの義務を免除されます。しかしもし金銭的に余裕があれば、自分がサウムできなかった日数一日につき、二食分の食事か、それに相当する金銭を貧しい人に施さなければなりません。

-思春期に達しない子供:しかし子供のうちからサウムに対する心構えを持たせるために、数日間、あるいは一日のうちの数時間だけでもサウムを体験させるといいです。

病気や旅行、月経などの正当な理由がないのに、勝手にサウムをやぶるのは、アッラーに対する違反です。

サウムをしてはいけない場合

次の人はサウムをしてはいけません。

-月経期間中の女性:彼女はラマダーン月の後にやらなかった日数分、遅れてサウムを行ないます。

-出産後の出血がある間:彼女は出血が止まってからやらなかった分のサウムを行ないます。

カダーのサウム

正当な理由があろうとも、ラマダーン月の定められたサウムをしなかった場合やサウムを破ってしまった場合、後日同じ日数のサウムで埋め合わせをしなければなりません。これをカダーのサウムといいます。カダーのサウムは、ラマダーン月の後、なるべく早く行ないます。

カッファーラのサウム

食べたり飲んだり性交するなどしてわざとサウムを破った場合、その償いのため、後に自分で連続60日のサウムをしなくてはなりません。これをカッファーラのサウムといいます。もし体力的にそれができなければ、破った1日につき60人の人に1日2食の食事をふるまうか、同等額のお金を施さなければなりません。

フィドヤ

サウムが全くできない非常な高齢者や、死ぬまで治る見込みのない病人などはサウムの義務を免除されますが、その代わり補償金を払わなければなりません。これをフィドヤといいます。フィドヤは逃したサウム1日につき、貧しい人に1日2食分の食事をもてなすか、相当額のお金を施します。

タラウィーフのサラート

タラウィーフとは

ラマダーン月の間には、毎日5回の義務のサラートのほかに、預言者(彼の上に祝福と平安あれ)の慣習であったタラウィーフと呼ばれるサラートがあります。このサラートは各自または集団で8ラカー(礼拝の単位)、10ラカー、または20ラカー行ないます。

実際にマスジド(礼拝堂)で行なう場合は、イシャー(夜)のサラートの後、スンナのサラートを終えてから集団で行ないます。2ラカーごとに終了し、4ラカーごとに少し休憩します。タラウィーフのサラートの後に続けて、普段は各個人で行なうウィトルのサラートも集団で行ないます。もしイマーム(サラートの先導者)がクルアーン暗記者であれば、毎晩クルアーンをこのサラート中に読み、ラマダーン月のタラウィーフで全クルアーンを読み切ります。

ライラトゥ・ル・カドゥル

ライラトゥ・ル・カドゥル(力の夜)とは

ライラトゥ・ル・カドゥルはイスラームで非常に重要な夜です。アッラーはクルアーンで次のように語っておられます。

真にわれはこの(啓示を)力の夜に下した。力の夜が何であるかをお前に理解させるものはなにか。力の夜は千月に優る。(その夜)天使たちと聖霊は主の許しのもとにあらゆる所に舞い降りる。暁までそれは平安である。(クルアーン97章)

アッラーの啓示クルアーンは、ライラトゥ・ル・カドゥルに天上から第一天に下されました。またこの夜には天使たちが群をなして地上に下り、祈っている人々の許しを求めます。この一夜は精神的価値において千月に優ると言われています。この夜が何日なのかははっきりと分かっていません。しかしラマダーン月の最後の10日に探さなければなりません。ラマダーン月21日、23日、25日、27日、29日(の前夜/ヒジュラ暦は日没から始まるため)は可能性が高く、特に27日(の前夜)の可能性が最も高いと言われています。そこでムスリムはこの夜を求めて毎晩祈りに時を費やすのです。

ライラトゥ・ル・カドゥルのドゥアー

イスラームにおける夜とは、マグリブ(日没)からファジュル(暁)までを意味します。その中でも最も祈りが聞き届けられ、精神的に重要な時間は夜の最後の三分の一です。この時間に起きてタハッジュド(深夜礼拝)をすることには大きな価値があります。ある時預言者の妻アーイシャが預言者(彼の上に祝福と平安あれ)にたずねました。「もし私がライラトゥ・ル・カドゥルを見つけたら、なんと言って祈れば良いでしょうか」預言者(彼の上に祝福と平安あれ)はこうお答えになりました。

「アッラーフンマ インナカ アフーウン トゥヒッブル アフワ ファーアフアンニ(アッラーよ、あなたは最も許されるお方です。ですから私をお許し下さい)」

イイティカーフ

イイティカーフとは

イイティカーフとは、お籠もりの意志とともにマスジド(礼拝堂)の中に籠もることです。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)はいつもラマダーン月の最後の10日間にはイイティカーフをされました。イイティカーフとは、現世の一切の雑事を置いてアッラーに対する祈りやクルアーンの朗唱などに費やすことで、それによって通常の祈り以上の精神的な恩恵を得ます。イイティカーフの状態にある人は、眠っていても祈っているのと同じ状態にあると見なされます。

イイティカーフのやり方

イイティカーフをするのに最良の場所は、マッカのカアバがあるマスジドゥ・ル・ハラームですが、どのマスジドで行なっても構いません。ラマダーン月20日の日没前、お籠もりの準備をしてマスジドに入り、イイティカーフをするニーヤ(意志表明)をします。ひとたびイイティカーフが始まったら、正当な理由なしに中断した場合、その分を後でやり直ししなければなりません。イイティカーフはお籠もりですので、通常の生活をすることは許されません。基本的にマスジドの外に出ることができません。飲食や睡眠、更衣などすべてマスジドの中で行ないます。

イイティカーフ中に外出しても許される理由は、次のようなものです。

-便所に行くこと:マスジドに便所があれば、その便所を使用しなければいけません。

-風呂に入ること:マスジドにシャワー室が備えてあれば、それを使用しなければなりません。

-食事を用意してくれる人が誰もいない場合、家に食べ物をとりに行くこと:しかし食事はマスジドの中でしなければなりません。

-自分のいるマスジドで金曜礼拝がない場合、金曜礼拝に参加するために他のマスジドへ行くこと

これら以外の理由、例えば家族に会いに家に帰るとか、葬式や見舞いに行くなどはイイティカーフを破ることになってしまいます。イイティカーフの最中は、1日5回のマスジドのサラートに参列し、サウムし、空いた時間はクルアーンを読んだり任意のサラートに費やします。特にラマダーン月の最後の10日間にはライラトゥ・ル・カドルのチャンスがあるので、深夜礼拝は欠かさず行なうようにします。このようにして初心の通りお籠もりをするのです。シャウワール月の新月が確認されたならば、イイティカーフを終えることができます。

女性のイイティカーフ

女性の場合は自分の家の一角をイイティカーフ専用の場所に定め、その中に籠もります。男性がマスジドに籠もる場合と同様、イイティカーフの最中は定められた理由なしにそこから出ることは許されません。ですから食事も家族の誰かに作ってもらうことになります。

サダカトゥ・ル・フィトル

だれがサダカトゥ・ル・フィトルを支払うか

サダカトゥ・ル・フィトゥルとは、ラマダーン月の間にする施しで、ザカートと同じくイスラームで定められた一定額の貯蓄(これをニサーブといいます)を所有している人全員の義務です。一般的に、家長である夫が妻や子供たち全員の分を払います。サダカトゥ・ル・フィトゥルによってアッラーはラマダーン中に犯した私たちの過ちをお許しになります。そしてそれは貧しいムスリム同胞がみなと一緒にイードを祝う助けになります。

いくら、どのように、だれに支払うか

サダカトゥ・ル・フィトゥルはラマダーン月の間、少なくともイードのサラートの前までに払います。額は1.633キログラムの小麦か米、あるいは相当額のお金です。現代の日本では、約1500円になります。自分で貧しいムスリムを捜して与えるか、信頼できるイスラーム団体に任せます。

ライラトゥ・ル・ジャーイザ

ラマダーン月は、その始まりと同じように新月を見つけることによって終わります。ラマダーン月29日に新月が見つかればその晩はタラウィーフもなく、翌日は祝日ですから、全てのムスリムはサウムの行が終わったことに対する達成感と満足感で休みます。もし新月が見つからなければタラウィーフのサラートを行ない、翌日のサウムに備えます。いずれにせよ、イスラーム暦の他の月と同様にラマダーン月は29日か30日であり、それ以上にはなりません。しかし祝日の前夜もライラトゥ・ル・ジャーイザと呼ばれ、価値ある夜ですから、意欲のあるムスリムは祈りに時を費やします。

イードゥ・ル・フィトゥル

ラマダーン月の明けた翌日はイスラームの祝日です。アッラーの教えのサウムを成し遂げたことに対してアッラーに感謝し祝う日です。この祝日のことをイードゥ・ル・フィトゥルと言います。この日、午前中にムスリムは晴れ着を着て広場か大モスクに集まり、イードのサラートをささげます。その後自分の家族や友人たちを訪問したり、食事をしたりして幸せのひとときを過ごします。

イードのサラート

イードのサラートは朝早くに行なわれます。ムスリムは晴れ着を着て広場に集まり、集団でイードのサラートを行ないます。イードのサラートは2ラカーで、普通のサラートのやり方に加えて6回のタクビール(「アッラーフアクバル」と唱えること)を唱えます。イードのサラートが終わった後はイマームの説教があり、その後ムスリムたちは休日を過ごします。

シャウワール月の任意のサウム

ラマダーン月の翌月をシャウワール月と言いますが、この月に6日間の任意のサウムをすることは、あたかも一年を通じてサウムするような報奨があると言われています。イードの日にサウムをすることは許されませんので、その翌日から、シャウワール月中であれば自由に6日間のサウムをすることができます。

○ラマダーン月の始まりと終わり、およびザカートの支払いなどに関しては、イスラミックセンター・ジャパンへご連絡下さい。